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 てのなか番外篇
D・ヘブディッジ『サブカルチャー』を読む

カルチュラル・スタディーズという「モノサシ」

January 99

 

サブカルチャーという言葉を辞書でひくと「一つの文化/社会における下位文化」とある。
ここでいわれている「下位」とはどういうことなのだろうか。
はたして、それは本当に「下位」なのだろうか。

テキストに使った『サブカルチャー』の文中で著者のD・ヘブディッジは、以下のように「サブカルチャー」を
定義をしている。

権力的なひとびと
↑ 緊迫状態 ↓
従属地位/二級市民の地位しか与えられていないひとびと

その時代によって、上記のような図式において上下にくるひとびとの具体的な定義付けは変わってくるだろうが、
いつの時代も、この両方の種類の、こういってよければ「階層」のひとびとによって社会は形成されていることは
事実である。
前述のヘブディッジによる著書『サブカルチャー』の各サブカルチャーの現象を要約し社会におけるサブカルチャー
の位置付けを考察してみたい。

 

>英国、にて

ヘブディッジは、1950年代以降のイギリスにおけるサブカルチャーを検証している。
ここで中心となるのは「アフリカへの帰還」願望の若いジャマイカ移民二世の若者と、彼らの中に自身の
サブカルチャーを求める白人労働者クラスの若者である。

まず、50年代後半にゴスペルとブルースという“黒人”の音楽と、白人のカントリーウェスタンから
「ロックンロール」が生まれる。英国に入ったアメリカ産のこの音楽は、英国内では異質であり、同様に
「まともな」労働者階級からこぼれ落ちた「彼ら」を「テディボーイ」へと仕立て上げる。
テッズは、黒人の R&Bと貴族的なエドワード調スタイルで装備された。
彼らは、しかし、ロックのルーツというものを認知することなく、つまりスタイルとしては「クロ」を身に
まとっていたが、実際は西インド諸島出身の移民達を襲撃したりした。

60年代に入ると、西インド諸島出身者の居住区近くで成長した、ある種の労働者階級の若者文化と黒人の
スタイルが「モッズ」となる。彼らは、とりあえず「普通(ストレート)の世界」に生きながら「他所」と
しての「白昼の地下街」にすべりこむ。その秘密のエンドでは、JBがうなり、スカが流れていた。
のちに「ウルトラ・モッズ」と「ハード・モッズ」に別れ、後者が「スキンヘッド」へと変貌していく。
「スキンヘッド」は、「労働者の見本のカリカチュア」という定義付けをされた。
アシッドに背を向けてスカとロックステディとレゲエに夢中だった彼らは、その外観をルードボーイから得、
白人労働者の「タフな典型」から影響を受ける。しかし、レゲエの内部におけるイデオロギーの変化により、
黒人たちがその人権問題とラスタファリズムへの傾倒を強くしていった頃、スキンヘッドたちは他の白人の
地域民と結束して、移民二世たちをおそってしまう。

70年代に入ると、ますますその傾向は強まり、黒人達はラスタの旗印のもとで完全に「白人たち」を拒否
してしまう。取り残された「白人」達は、残骸を拾い集めて「グラムロック」を合成させた。
ここでは、階級や若さではなく、男女の区別とか性の特質が破壊の対象にすりかわってしまった。
アーティスト気取りのこれらグラムの連中に、労働者階級の若者はあまり引きつけられなかった。

「パンク」の出現は、彼らのような「疎外」された若者の新しいよりどころとなる。
パンクたちは自分達の「疎外感」を明確な形に現象化するため、これをレゲエに求めた。
ハイレ・セラシェを神と崇め、「サウンドシステム」という名の礼拝堂に響くレゲエという音楽は、しかし、
サディスティックなまでに白人に対し譲歩することはなかった。
にもかかわらず、パンクたちはレゲエを通して黒人達が到達する「ここではない場所」を共有したかった。
が、そこにある「疎外」は、「パンクス」のものではなかった。パンクスたちが一生懸命安全ピンを肌に突き
刺そうとTシャツに穴を開けようと「そこ」へは到達できず、結局同じ場所に立ち尽くしているだけだったのだ。
しかたがなく、パンクは白人性を強調し、つばを吐きかけていた「GREAT BRITAIN」を「標的」に仕立て上げ、
彼らの音楽に引っ張り出す方向へ変化した。

「パンク」は、ヒステリックなまでに「からっぽな自分」を表現しようとする。
自らを「他者化」するための、ヒステリックな手段として、わざわざ物議をかもし出す方向へ突っ走り出す。
「カギ十字(逆卍)」を身にまとったりしたのもその一例だ。
ナチのシンボル(さらに今なお、ネオ・ナチにより使用されている、“現在性”を持ったシンボル)として
打ち立てられていた「スワスティカ(逆卍)」は、そのルーツをネパールの「卍」に持つ。ドイツ人の優位を
示すため、その「ゲルマン」のルーツを「アーリア民族」に求め、アーリアの起源をインド・ヨーロッパ語族
にまで遡ったことにより、辿り着いた先が「ネパール」であった、という。
ネパールにおいての宗教=「卍」であり、それは「反・キリスト教」をも表象できる格好モチーフとなった。
このような経緯をもった「スワスティカ(逆卍)」を身にまとうことは、つまり、ヨーロッパにおいての現代
における“絶対”の「他者」=ナチを連想させる効果を持つ。さらにイギリスにおいては、ナチは“絶対”の
「敵」でもある。

もちろん、「パンクス」たちは「ナチ的」な思想を持っていたのではなく、むしろ逆だった。
彼らは、ナチがもつ「他者」の暗示として「スワスティカ(逆卍)」を選んだ。つまりは彼ら「パンクス」が
「スワスティカ(逆卍)」を身にまとうことで、それが持つ本来の“意味”を完全に抜き去ってみせたのだ。

が、「スワスティカ(逆卍)」を身にまとうことがファッション化された瞬間、「パンクス」たちは、すぐに
脱ぎ捨てる。つぎの瞬間、別の場所で、別のターゲットを破壊し始める。ファッション化した連中をあざ笑い、
「記号」を身にまとうことをやめる。「彼ら」は、常に「絶対的他者」でなくてはならない。
時間的にも場所的にも「どっかのだれか」になってしまっては意味がないのである。

「自己存在」をぶっこわし、世の中にころがる「意味」をぶっこわし、そこまでして「ぶちこわし」たかった
「すべて」ではあったが彼らが社会の中で「生き」始めてしまったことで「パンクス」たちはしだいにフェイ
ドアウトしてゆくことになる。
新聞は、「パンクスもヒトの子」と書き立て、「パンクス」に支持されていたミュージシャンたちも、すっかり
「商業主義」に魂を売ってしまった。

“「他者」を想像できない人;プチブル”(バルト)からは、せいぜい「やんちゃなひとたち」くらいの位置付
けをされるようになってしまった「パンクス」は、こうやって三々五々散らばっていった。

今や、「パンク」は、その舞台を社会の中へと移してしまい、過去の「物語」になってしまった。
「社会にありふれた物語なんて、そんなモノはぶちこわせ!」。
彼らは、彼らの“やり方”を全うすることで、自分達を「物語」として投げ出し、始末したのである。

ここまでが、最初にヘブディッジによって提出された、ふたつの切り口(「アフリカへの帰還」願望の若い
ジャマイカ移民二世の若者と、彼らの中に自身のサブカルチャーを求める白人労働者クラスの若者)で彼が検証
した1970年代後半までの英国におけるサブカルチャー現象の要約である。

 

>我々にサブカルチャーが提出される、時

それぞれの「経験」は、しだいにコード化されてゆき、「同一社会体系の、異なるレベルを構成している構造」
(アルチュセール)となる。
ここで、特にマスコミは、これらのコード化された事象を、分類しやすいお手軽な分類名、「レッテル」として
提示してくれる。
こういった現象は、現代社会にとっては当たり前だが、マスコミはさらに、各サブカルチャーの間に立って、
(少々語弊はあるだろうが)「チクリ役」として機能する。
そこで、各サブカルチャー間で起こる“化学変化”の様子を再度提出してみせるのだ。

では、マスコミが全てのサブカルチャーのプロデューサー的役割を果たしているのかといえば、それはまた別の
問題だ。しかし、ヘゲモニーのための媒介としては十分機能しているかもしれない。
社会という大きな歯車(=構造)の中に組み込まれているマスコミから提出されたサブカルチャーのイメージを、
御丁寧に受けとった「まともな親文化の住人」による苦言を元にして各サブカルチャーが成長していることもある
だろうが、結局のところ、サブカルチャーが社会に統分され、イデオロギーによる「操作」と、商業主義による
「操作」で再整列されてしまえば、「サブ」がとれて、一般の「カルチャー」に成り下がる。

  1970年代後半、イギリスのCCCS;バーミンガム大学文化研究所には、
ジャマイカンであるスチュアート・ホールをリーダーにD・ヘブディッジやポール・ウィルス、イアン・チェンバース
などが在籍していた。
特に、ポール・ギルロイは「音楽は、黒人のディアスポラ文化にとってオルタナティブな公共圏(パブリック・
スフィア)として働いている」として、音楽をテーマに文化を論証している。
彼らは当時、「黒人」の表象を、差別される低い側から→相対的に高い側へと押し上げるべく活動していた。
イギリスの場合、「人種」という問題がその時代毎にスタンスをかえながら登場して、各サブカルチャーの原動力
となっていることはD・ヘブディッジの『サブカルチャー』でみてきたとおりである。

カルチュラル・スタディーズ;
+いかに主体は既存の社会状況の内部に自己アイデンティティを位置するか
+いかに既存のヘゲモニックな諸関係と折衝するかという主体の想像に関わる問題
註1

カルチュラル・スタディーズという「モノサシ」は、単に異文化を読み解くための方法論ではない。
この方法論で読み解かねばならない“ネタ”は山ほどころがっている。

 

*註1:「素描・カルチュラル・スタディーズの増殖について」p199より引用

>>参考文献  *は引用文献
+『サブカルチャー スタイルの意味するもの』* D・ヘブディッジ  山口淑子訳
未来社/1986
テキスト/ノート

+現代思想 vol.25-11 ブラックカルチャー
青土社/1997.10
 「素描・カルチュラル・スタディーズの増  殖について」* 小笠原博毅
 「どこから来たかじゃねえんだよ、どこにいるかなんだ
  〜ディアスポラ的アイデンティティ形成の弁証法」 P・ギルロイ

>なお、今回は特にふれていないが、'80年代以降のヒップホップ文化に関しては
上記の「現代思想  vol.25-11  ブラックカルチャー」に、いくつかの論評がある。
また、『ラップという現象』白水社/1998 は、80年代後半から90年代初めにかけての、
アメリカにおけるラップ/ヒップホップを“白人”が「サンプラー」というスタイルで考察した
『SIGNIFYING RAPPERS rap and race in the urban present』を翻訳した好著である。




 

 『サブカルチャー スタイルの意味するもの』
 D・ヘブディッジ  山口淑子訳

 Signifying Rappers: Rap and Race in the Urban Present
 Mark Costello / David Foster Wallace (著)

 
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