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 てのなか番外篇
現代写真の母型 matrix of photography
金村修「BLACK PARACHUTE EARS 1991-1999」

「現代」な速度

july 99

 

この写真家を「すごい」と思ったのには理由がある。
かつて、初めて見た、この写真家の作品に、ひどく感動したからである。
「京浜マシンソウル」。
都市の一角。普段、通り過ごしている、その街角の奥の、その電線の、その裏手の、その看板の、その交差点の、
あちこちに、彼は丁寧に「爆弾」を仕掛けてまわっていた。
意識的にではないかもしれない。
しかし、たしかに、そこには突き放したような、ふてぶてしいような、ありのままの姿のそれらが、写真という
カタチになって、わたしの目の前で、ひとつひとつ破裂してゆく。
壁一面に張られたモノクロームの作品群は、つぎつぎにノイズを発生させ、火花をあげる。

「都市」という単語を、わたしは、日頃、とても抽象的にとらえている。

「都市」は、あらかじめ、あるイメージの上に成立しているものであるかのような錯覚がある。
が、実際、自分がその中で生活していることを忘れている。
見なれたはずの、家の近くの風景にもまた、彼の「爆弾」が仕掛けられていた。
「京浜マシンソウル」シリーズのなかの一枚。
最初、気が付かなかったのだが、その一枚に写しだされていたのが自分が住む街の隣の駅前の景色だったのだ。
そうとわかった時、ある種の「こわさ」すら感じた。
つまり、自分がいかにある「イメージ」に取付かれて「風景」をとらえていたのかを突き付けられたからだった。

現実は、「イメージ」に押し込めておけるほど生易しいものじゃない。
それを「みせつける」ためのパーツ、が「京浜マシンソウル」という作品なのではないかと思った。

今回の展覧会では、金村氏のビデオ作品も上映されていた。
ここでは、金村さん自身の「速度」が刻まれていた。
写真の作品にもみられる、金村さんの「速度」が、画像プラス音/ノイズで表現されていたのが印象的だった。
つぎつぎと「破裂」する風景は、ある速度をともなって流れる。
猥雑な町中。バスからみる流れる風景。部屋。騒がしいどこか。フライパンの上で踊るなにか。暗闇。
下品な色のネオン看板。
一定の「リズム」を刻みながら、ひとコマひとコマが入れ代わる。
これは、絶対的に金村さんの「速度」なのだが、同時に「現代な速度」でもある。
カメラのシャッターは、うまくその「速度」を捕らえるに恰好の機械なのだろう。

この写真家の作品を、一枚一枚じっくり近づいて見てるひとは、「わかってねーな、」と思ってしまう。
それじゃあ、この作家の「速度」を、「リズム」を、とらえられない。

「近づくこと」で見ないで済ませようとしているモノたちが、ノイズを発してこちらに向かってくる。
壁面の中央の、少し離れたところからこれらの作品をみると、圧倒されてしまう。

そういうチカラのある「写真」である。


■ 現代写真の母型 1999
■ 金村 修「BLACK PARACHUTE EARS 1991-1999」
■ at 川崎市市民ミュージアム
■ 1999/6/1〜7/11


 

 『Happiness is a Red before Exploding』
 金村修写真集

 
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