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 てのなか番外篇
「醜」の中に映る「芸術」

「美しい」オトコたちが演じるのは「醜い」オンナであるのか?

september 99

 

こんにち、「芸術」語ることは容易なことではない。
その原因とは、「芸術とは、すなわち美と同義語である」という美学的なお題目がすでになくなり、
かつ、「美」を規定するコンテクストがあやうくなってしまったために「芸術」を規定するリアリティを
なくしてしまったということにある。

もちろん、その源流はヘーゲルにまで遡ることができよう。
ヘーゲルが「美は、われわれに知的な思考を求める。もはや“つくりだす”のが目的というよりは、
“美、そのものとは、なにものなのか”を哲学的に知ることを。」という時、“美、そのもの”すら、
あるひとつの約束事から解き放たれてしまったのだ。そこで、芸術はあらゆる方向に羽を伸ばし始め、
「美」という概念そのものをも、その手中で自由に扱うようになった。「なんでも、あり。」という、
一見すると無責任な言い回しではあるが、ここにこそ、芸術が存在しているのではないか。
「美」とはなにかを作品のテーマにしている日本人美術家森村泰昌と、彼と並んで評されることの多い
中国人画家でありパフォーマーである馬六明の作品と活動をみて、そのあたりを確認してゆきたい。

森村における「美」を観ていく時、女優シリーズがかっこうの題材であるだろう。
森村は、特に二十世紀における銀幕を飾った女優たちをイミテイトし、作品化することで「美」の意味を
問うた。もともと森村は華奢な体型ではあるが、しかし、男性が化粧をし、女性ものの衣服を着て女性と
なっていること(人によっては「女装」という捉えかたをするかもしれない)は明らかである。
たとえば、マリリン・モンローと化した森村は、イミテイションの乳房をからだにつけ、女性のからだを
表わす。その一方で、風が吹き上がって、翻ったスカートの中身からは男性器がのぞく。

いずれも、「女性性」を表現する、あるいは強調する手段であることは間違いないが、はたして、そこに
「美」はあるのだろうか。
マリリン・モンローは、アメリカの、世界の男性に祭り上げられた「女性の」「美の」シンボルだった。
たしかに、そうであったことは歴史が証明している。森村は、そのイメージをそっくり真似た。
いや、ただの「そっくりさん」ではなく視覚的にイミテイトしたという表現の方が正しい。

しかし、これを観た人の感想の多くは「キモチ悪い」というものだった。註1

なにに対して「キモチ悪さ」を感じるのか。男が、女を装っているかなのか。
「美である」というイメージをそのまま再現した「キモチ悪い」男が「美」ではなくなってしまうのは
なぜなのか。「美」と「キモチ悪い;醜」の境界線上に、あやうい「美」が宙づりになる。

もうひとりの作家、馬の作品をみてみる。
彼の容姿は、一見すれば完全に女性である。長く伸ばした髪。華奢な体つき。化粧した整った顔。
その容姿をもとに行われる、彼のパフォーマンスは観客の間を服(女性の着用する服装)を切り裂きながら
歩き回り、最後にはオールヌードになるというものである。
つまり、女性的な外見から最後には男性としてのカラダが現れる。「美」というイメージの中から現れた
「男性器」という裏切りと現実。その幅の振れ方が、観ている者に「美」への疑念をもたらす。
もうひとつの作品の傾向として、タブローによる表現がある。そこに描かれるのは、彼自身のポートレイト
であるが、顔は大人である馬、一転して体は嬰児のものである。
彼自身の言葉「生をあらゆるものから開放せよ」註2にもあるように、なにものでもない嬰児と社会的な
位置付けに支配される大人とを混合されることによって生み出される違和感を観る側に想起させる。

ある確立された「美」を、その両極で表現することによって現れる違和感、逆にそこに「美」とはなにかを
浮き出させるという手法を使っている点では、彼らに共通点をみてとることができるであろう。

「美」を美として表現するのが芸術であった時代は、とうに通り過ぎており、今や「醜い」ものを通して、
「美」を確認するという芸術は、果たして健全なのかどうかはわからない。

が、生きている現在の「芸術」について考える時、この方法は近道なのではないかと考える。

 

///
註1 千野香織 『女を装う男 森村泰昌「女優論」』p.131
   女優になった私 美に至る病 森村泰昌展カタログ所収 1996横浜美術館

   文中で、千野氏は森村の「女優降臨」シリーズが男性誌に掲載された時の、読者および作家の周辺の人物の感想が、
   そのようなものだったと記述している。

註2 作家解説 p.88
DE-GENDERISM 展カタログ所収 1997世田谷美術館

   解説中、本人の言葉として掲載。

参考文献/
芸術/芸術学/美学  世界大百科事典 株式会社日立デジタル平凡社
『芸術学ハンドブック』第一部 美術史の歴史と方法  1989勁草書房  
『女優になった私 美に至る病 森村泰昌展カタログ』 1996横浜美術館
『DE-GENDERISM 展カタログ』 1997世田谷美術館
『ART ON THE EDGE AND OVER』
  Why Does Art Need to be Explained? "Hegel, Biedermeier, and the Intractably Avant-Garde" Arther C. Danto 1996 Art Insights, Inc.



 

 『Art on the Edge and over:
  Searching for Art's Meaning in Contemporary   Society 1970S-1990s』

 Linda Weintraub /Arthur Danto /
 Thomas McEvilley (著)

 
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