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 てのなか番外篇
【ヒト】no/05 BAHO 東京の「馬」鹿と大阪の阿「呆」から、ジンセイを教わる。 07/8/13

好きこそ、ものの上手なれ。
つづけていくことの「しんどさ」の壁を超えないと「たのしさ」へは到達できないような気がする。

今年も、もう、とうに半分が過ぎてしまい、あらゆることにザワザワとした焦りを感じつつ、
30代も半ばをすぎた自分を、みつめなおす日々がつづく。

* * * * *

2月に、ひとりでBAHOのライブを観にいった。
誤解を恐れず言い切ってしまうと、まったくもって“贅沢な「余興」”を楽しませてもらったものだ。
とにかく、究極の「セッション・デュオ」。かっこつけてないのに「かっこいい」。
たぶん、ライブが終わったら「ほな、またね」って、ふたりは別れるのだろう。
「またね、」といった瞬間から、お互いにネタ探しが始まり、「今度は、どんな手を使おうか」と音を探し、
で、しばらくたつと「ほな、やりまっか」でネタがスパークしあう!

ご本人たちのおコトバを拝借すると、BAHOとしての自分たちは「季節労働者」らしい。
「本拠地があるからこそ、思いきり遊べる」場、それがBAHOなのだろう。

その、最たるものが「三弦ギター」。

自らを「近代三弦ギターの父」と呼ぶ、ギターのスペシャリスト2名。
えぇ、いつの日か音楽室の額縁におふたりの肖像画を飾って、語り継ぎますがな。
ギター詳しくないから、うまく説明できないけど、6弦を「3弦×3弦」に分けて、2本のギターで一本の
ギターのように曲を演奏したりするわけですよ。わざわざ。頼まれもしないのに。
あほや、あほすぎる‥‥いえ、これは最大級の賛辞です。
えっとお、なんでしょ、あえていえば、「だから、なんだ?」感も否めないわけですよ。
であるがゆえの、上等すぎる“余興”。しかも、「すげー」とは思うんだけど、演奏してるご本人たちは、
けっこう手こずってたりする。練習も、ずいぶんな時間を割いて、たいへんらしい。
「あきれちゃうくらい、ギター好きなんだろうなぁ」と思いながら、それをニコニコして聞いてる贅沢!
ギターもそうだけど、おふたりの楽しそうな様子(かけあい?)も余裕があって、ほんと、かっこいいんです。
まぁ、ちょっとした「ライバル意識」もあるだろうけど、お互いに信頼しあってる、リスペクトしあってる
のが演奏からも伝わる。

 

好きだからこそ、つづけていられる。
つづけているからこそ、もっともっと好きになる。
例の「三弦」も、いつも進行形ですすむ「通常モード」の“Char”と“石田長生”という、それぞれ独自の
スタイルがあるからこそ、 変化球としての「こんなん、でましたぁ」ができるんでしょう。たぶん。

 

公演当時、会場だったグリーンホール相模大野のHPにBAHOのインタビューが掲載されていた。
「公演のお知らせ」程度ではなく、なんと2時間!にもおよぶインタビュー取材の記事。
自らの拙い経験からいうと、「これが聞きたい」という熱意のあるインタビュアー(前提として、取材対象の
ことに興味があり、なおかつ、ある程度の好意のキモチがあることと、たぶん膨大な下調べも必要)と、その
熱意のある取材者に対して「これを話したい」というネタというか、話題というか、伝えたいことがない限り、
2時間なんてインタビューはありえない。
なので、そういうインタビュー記事というのは読んでておもしろい。
もちろん、2時間分、全面掲載ではなさそうだが、なにより、読み手として期待している部分を超えた記事の
内容で、何度か読み返したほどだった。
ま、いままでは「耳からの出来事」としてしかBAHOを知らなかったし、ね。

 

なにかと「楽しめればいいと思います」という答え方をするひとが多くなったような気がする。
それはそれで正しいし、異論はないが、どこかひっかかるところがあるのは否めない。
ただし、BAHOクラスのひとが言うなら、腑に落ちる。
なぜなら。
ずっとずぅっと前から、数十年間、今現在に至るまで「進行形」で「つづけてる」ひとたちだからだ。

* * * * *

閑話休題。
ちょっと、自分のコトを書きます。

美術学校に通っていた20代のはじめのころ、わたしは、90に届こうかという齢の現役の画家のクラスで
絵を描いていた。その画家は、戦前の若いころ、フランスに渡り、当時の日本になかった画風を確立した、
いわばパイオニア的な存在として日本の近現代美術史に名を刻まれている。
その人生の大半を「画家」として過ごしてきた先生が、よくアトリエの学生たちに言っていたことは、
「とにかく、つづけなさい」ということ。「誰彼に認められなくても、それが自分の色やかたちだと信じる
ものであるなら、途中、寄り道をしてもいいから、つづけなさい。いつの日か、自信をもって“自分の作品だ”
と正々堂々言えるようになるから。技術なんてものは、誰でも鍛錬すれば身に付けられる。でも“自分の作品”
(=オリジナリティということをおっしゃりたかったのだろう)をつくりだすのは、たやすいことでない」と。
20代のころは、あらゆるものを「吸収すること」で精いっぱいだったが、その段階を経て、近ごろ、この
コトバが妙に自分のなかで響く。いまは、「絵を描く」というフィールドを離れてしまってはいるものの、
自分のなかにある「根っこ」は変わっていない。

好きだけでは、つづけていけない。
つづけていくためには、ある程度の覚悟のようなものが必要で、それを守っていく強さを持たなければならない。
そして、その「守っていきたいもの」のためになにかをあきらめられるか。
でも、その覚悟をもってしても、心底、「好きのキモチ」がなくては、やっぱりつづけていけないのだ。

いま、そういう「岐路」にいるような気がして、不安だったり、気弱になったり、でも、それだけじゃなくて、
「余計なものは、脱ぎ捨てていけばいい」と開き直ることのできる爽快さがでてきたのかもしれない。

* * * * *

心底、演奏を楽しんでいるBAHOのおふたりと、そのおふたりのライブに足を運んで、心底、楽しんで聞いてる
お客さんたちの姿を思いうかべながら、そんなことを考えた。

* * * * *

と、あたくしは、この文章を「誰」に向けて書いているんだろか??

でも、もし、これを読んで「‥‥うん、」と共感してくれるヒトがいたら、
そう、「あなた」に宛てて書いてるのです。きっと。
インターネットは、とかく「負」のイメージで語られがちですが、もし、そんなふうに
こんなちいさな場でそっと「誰か」とココロがつながるメディアであるなら、
わたしは、その「つながり」を大事にしたい。

と、思う次第。

そして、いつか出会うことがあれば、お互いが「つづけてきたモノ」「かわらず好きでいつづけたモノ」を
みせあえたら、きっと、たのしいだろうね。

* * * * *

おもては、容赦ない炎天下。
‥‥ほんと、真っ黒に日焼けしてグラウンド走りまわってた10代のころの夏の「自分」が信じられないくらい、
いまでは、暑さに滅法弱くなったなぁ。

はやく、実りの秋がくるといいのに。
そう思いながら、「日々の生活」はつづく。

 

 

 


「OKURADASHI 」BAHO

御大たち、BAHO名義の「最新盤」。
1999年(20世紀!)リリースのライブ盤です。

「Boninの島 」石田長生

小笠原諸島をテーマにした最新アルバム。

「Flying Toy's
  instrumental best」(初回盤)
Char

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