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 てのなか番外篇
【コト】no/03  ホンマタカシ写真展「東京郊外」

「コウガイ」にいる/あるモノたち

98/12/7

まだ実際に展覧会を見ていない、のに「おすすめ」するのもなんだが、これはぜひ見るべき写真展だと思う。
ホンマタカシ、という名前は、最近あちこちで目にする。いや、そのクレジットをチェックすることがなくても、
確実になんらかのかたちで、この写真家の撮影した写真を見ているはずである。

今回の展覧会タイトル「TOKYO SUBURBIA 東京郊外」に注目したい。

そもそも「東京郊外」ってどこ?
もちろん、都心から何十キロの範囲で、通勤に1時間以内とか、具体的な条件によって定義される、
具体的な場所を指していることも考えられるが、わたしは、あえて、これは概念としての「トウキョウコウガイ」
と考えた。

首都圏、と呼ばれる地域に住む人口の、大半が「郊外」とよばれる地域に住み、実際に都心と呼ばれる地域
へと通勤/通学している現実がある。もしくは、都心は「遊びに行くところ」としての“ハレ”の場であり、
郊外は「居住の空間」つまり“ケ”の場である、とも言い換えられる。
ホントの「トウキョウに生きるひと」を撮ろうと思ったら、それは「郊外」という場でしか可能とならないのか。

都会の片隅で、スキャンダラスなイメージを抱かせることを強制されているかのような「ワカモノ」や、
バイオレンスをその目に映す「はだかの女」、さまざまな恋愛の形をとる「カップル」たち。
そういうステロタイプなイメージのみが「トウキョウ」を語るのではない。
ホントの、生身を曝け出す身体は、彼らにとっての“ケ”の場、「郊外」に存在しているのみ。
そういう前提を設定したのかと思う。

ちょっと戻って、「suburbia」という単語のニュアンスを考えてみる。
なぜ、「suburb」ではなく「suburbia」なんだろう。
「suburb」という単語には、もちろん「都市の外に位置する郊外」という意味がある。
では、「suburbia」というのは?

suburbia; n. often derog.suburbs,their inhabitants,and their way of life //quote←O.E.D.

しばしば、“ケイベツ的に”「郊外」を意味し、またそこに住む人々の生活/思考様式さえ指す、単語だ。

もし、ホンマ氏が意図的にこの「suburbia」という単語を使ったのだとすると、見る側も、
ちょっとした構えが必要になる。
まぁ、当の「ホンマ」氏は、もっと本能的に「撮りたい被写体がそこにいる/ある」から、
郊外という場所へ出掛けていったのだ、と思うが。

自分の身近な部分は、結構目に入っていない。
リアルを感じないはずの「イメージとして切り取られたもの」の中に、「自分の周辺のもの」を見て取った瞬間、
「リアルを感じないイメージ」というものが全く別のものへと変貌する。

今回、ホンマ氏が追った「コウガイ」は、わたしたちに何をみせるのだろうか。

 

ホンマタカシ写真展「TOKYO SUBURBIA 東京郊外」at パルコギャラリー  '98.12.04 〜 '99.1.10
こんなことにも、「ホンマカメラ/鼠穴出張所」  ほぼ日刊イトイ新聞>>>GO
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