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 てのなか番外篇
【コト】no/04  「菅 木志雄;スタンス展」

「闘いは、ひそやかに“仕掛け”られている。」

99/03/1

菅木志雄さんの作品は、彫刻ではない。
立体造形作品、という逃げ方もあるが、たいていそれは「例えば、どんな?」という更なる質問を誘導してしまう。
私は、とりあえず「木や石、ガラスをつかった、インスタレイション」と捉えるようにしている。
もちろん、これは必ずしも適切な解答ではない。

例えば、「環空立」や「隔域」という作品。
これらは、木材や鉄骨が組み合わされた作品である。

かつて、ロシア構成主義のウラジミール・タトリンが「復合コーナーレリーフ」において、壁面に「束縛」される
不自由から作品そのものを開放させようと試みたように、とくに「環空立」という作品は、美術館やギャラリーと
いった展示スペースを、ある種「単なる空間」として無意味化させようとしているように思う。
展示室外から展示室内へとつづくこの作品は、ただ単に四角に組んだ、同一形状の木材をある間隔で並べたもので
あるが、しかしそれらは内部に向かっていく「ひろがり」を感じ
させる。

ここで、思い出したのは、「ジャングルジム」だ。あの、公園や校庭にあった遊具。
「ジャングルジム」というものは、“かたち”として引き付けるものを持ち合わせているとはいえない。
極一部の、ある形式の「ミニマリズム」好き以外には、あの単一な正方形の積み重ねをみて「うつくしい」と
感じるヒトは少ないだろう。(それに、だいたい「ジャングルジム」は、こどものためにある!)

戻ろう。こどもの頃、なぜ「ジャングルジム」がおもしろかったのかを思い出してみた。
あれは、側面をよじ登っていくより、中に入り込んで、そこからてっぺんをめざして、よじ登っていくのが
楽しかった。「内側」から「外側」へ突き抜けた時に、この「ジャングルジム」の醍醐味を味わえる。
それと、もうひとつ。
「内部」で迷う楽しさ。ジャングルジムには、囲いはない。
そのまま、突き抜ければ外に出ることができる、単純な構造であるにもかかわらず、中をジグザグと
よじ登ることによって、閉鎖的な空間を味わえるのだ。外からは、丸見えだけども。
つまり、外界との隔たりを感じることはないのだが、確かにそこは「別のどこか」なのだ。

「なるほど。では、この「環空立」という作品は、そんな幼い頃の“ジャングルジム”なんかで
 あそんだ時の“感じ”を追体験できるわけですね。」

 もちろん、そんなコトをいいたいのではない。
>本来なら矛盾するはずの「つくること」と「つくらないこと」が、
>菅木志雄の制作行為では絶妙に共存しています。
と、展覧会チラシにある。
さきほどの「ジャングルジム」の例えは、ここに帰結しないか。
「つくること」と「つくらないこと」
「内部」と「外部」
それらの、あいまいな“境界”にたわむれるための装置、としての作品。
確固たる隔たりのない、しかし確実な「異界」への侵入、としての作品。

また別の角度での菅作品のおもしろさに「インスタレイションとしての現在性」がある。
「多囲分境」という作品をみてみよう。
美術館の開館時間から、ほんの30分ほどの「ショー」。
天井から差し込んできた光が石のキューブがしきつめられた面の上に落ち、 その落ちてきた光が
石の面に対して垂直に立てられたアクリル板に映る。
映った光は、何枚かのアクリル板を通して、空間へと拡散されてゆく。
時々刻々と移り行く、差し込む光の角度が、何とも魅力的に作品を演出するのだ。
他の作品をみても、たとえば木材をつかった作品などは、明らかに、使用された木材が時間の経過
とともに、 「たわんできている」ことを発見できる。

「今」と「次の時間に至る経過」という時間性が、作品に表われている。

菅作品は、たしかに一見、ただ木材を、石を、ガラスを並べただけの作品であり、 特別な作為と
いうものを感じさせない制作行為の上に成り立っている。

「“ナニカ”を作品の中に見い出そうとする、観者」と「“ナニモナイ”とつきはなす、作品」
との間にある、格闘あるいはスリル。

そういう緊張関係が、この種のミニマルな表現をみる時の「おもしろさ」なのではないか。
「もの」は、「記号」というカタチをとりつつ、なにかしら「意味」を持つものである。
「記号」は、さらに「シニフィエ;記号内容(意味されるもの)」と「シニフィアン;記号表現(意味するもの)」
を有する。世の中に存在する、すべてのモノはこれらの「意味」というものの支配を受けて、いや、受けることで
その存在を認識されていることは間違いではない。が、ほんとうにそれだけだろうか。

作品と“格闘”すれば、その答えはわかる。
いや、この闘いに負ければ、答えは分からず終いだ。

さて、勝つのは菅木志雄という「作家」か。
あるいは、観者である「あなた」か。

 
菅木志雄:スタンス展 1999.2.6(sat)-----3.28(sun)   at 横浜美術館

*出展作品の一部として、映像作品もあり。(決められた日時にのみ上映)

「存在と殺人」 90min. 1998-99 菅木志雄監督・脚本 制作/横浜美術館

見えるもの」が「見えないもの」を支えていること、
あるいは「見えるもの」の 不確かさという、
菅木志雄の美術作品でもしばしば登場する視覚をめぐるシステムが、
ひとつの殺人事件を軸に展開されており、
一種の「不条理な犯罪劇」と呼ぶべき画期的な内容になっています 

「存在と殺人」チラシより

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