update誤の技法DOORSうちのおすすめfrm D&R‘s mummymyART
 てのなか番外篇
【コト】no/07  noda・map 第八回公演「カノン」

「芝居」に、はまる

00/4/16

はまった。この世界にはまった。
「ノダヒデキ」という演劇人の創り出す創作物にすっかりはまってしまった。

実際に、舞台に足を運んで観る「野田」作品は、二作品目だ。
前回の「パンドラの鐘」nodamap版で、完全にその舞台の世界に引きずり込まれてしまって以来、わたしは、
この「カノン」も必死でチケットをとったのだった。
まず最初にがらくたの山に、派手な身なりの盗賊たちがあらわれる。ひと騒ぎしでかした後のようだ。
そんなかんじで、この舞台は幕を開ける。

基本的に、わたしは「お芝居」の世界が苦手だった。
舞台の上の役者たちが、一生懸命に「芝居ですぉ、演技をみてくださいよぉ」とぎらぎらと、
油っぽく、迫ってくる感じが嫌いだった。
野田作品の「すごい」ところは、そのチカラが入ったところがないことだ。
さらっと、観ているものをその世界に引きずり込む。すべてにおいて、さりげなく仕組む。

たとえば、舞台装置。
たびたび登場した絵画のフレーム。ある時は牢屋の檻となり「外」と「内」を隔て、ある時は
酒場のテーブルになり、ウラ通りの抜け道となり「ここ」と「どこか」をつなぐ、といったように、
次々にその役割を変える。それが不自然ではない。
しかも、それがとても効果的で、まるでストーリー展開の伏線であるかのようだ。
もうひとつ、どこからかでてくる「ドラム缶」は、平面的な舞台上の世界において、時間軸上を
行き来する立体的な装置;タイムマシーンとなっている。

そして、あちこちに仕掛けられる韻を踏む「コトバ」たち。
「自由」が「銃」にすり変わり、コドモの泣く「えーんえーん」が「永遠」となり、
ネコが「みゃーお」と鳴くのを「みよ」とする。それが、単なる「コトバ遊び」ではなく、
「そう意味付けられている」文脈のようになっている。

野田秀樹というヒトは、設計士でありながら、大工でもあり、内装をてがけ、左官もこなし、
庭に草木を植え、さらには家具の位置やテーブルセッティングまでもを面倒みている。
細部のすべてが、このストーリーをリアルにするように仕組まれている。
シンプルな舞台装置が、うつくしく思える。
板の上の役者さんたちは、まさしく「そのヒト」であるようにみえる。それぞれに、とっても
魅力的な「そのヒト」に、ね。

前回の「パンドラの鐘」もそうであったが、野田秀樹という作家は、このところ、彼なりに
今世紀を総轄しているようだ。決して、歴史絵巻を紐解こうとしているのではなく、センチな
言い回しになってしまうが、「記憶のアルバム」を再表象しているかのようである。
全共闘世代の人がみて、なにを思うのか。
空虚を抱えて、ここまできてしまったひとたち。
マグリットの絵に、なにをみるのか。
目をつぶってみないようにしてきた「澱」が、うっすら顔を出す。
「ある」ようで、実は「空虚」であったモノを追い続けてきた先になにがあるのか。
あの時うまれた「猫のコ」は、私たちの世代の“わたし”だ。
残された「空虚」の中で、そこをなんとか抜け出そうと躍起になることもなく、そのうえ、
そこに「なにもない」ことすらを知らない。
いや、「ある」のか?

「あの時」、空虚を見い出してしまった「太郎」に、いま、そのコトを聞いてみたい。
あなたが愛した「沙金」とは、どういうオンナだったのか、と。
そして、「次郎」には、あの「自由」の正体を尋ねてみたい。
そして、「沙金」には、この先も「オンナ」として生きていくのか、尋ねてみたい。

以前から、わたしは「いいモノ」をみると、猛烈に口惜しくなる。
今回だってそうだ。
もちろん、わたしは役者ではないし、脚本書くわけでも、舞台に関わる仕事をしているわけでもない。

でも、「口惜しいなぁ」と思った。

そして、早くも今秋に次の新作に会えるらしい。
松尾スズキさんが、また登場!
おもしろくない、わけがない!

最後にどうでもいいことだけどさ、コクーンシートは首がつかれるよ。


 
NODA ・ MAP 第八回公演 「カノン」2000/04/01(sat) - 05/14(sun) at Bunkamura シアターコクーン

作・演出・出演 野田秀樹
衣装 ひびのこづえ
出演 唐沢寿明 鈴木京香 串田和美 岡田義徳 須藤理沙 片岡由里子
   手塚とおる 宮迫博之(雨上がり決死隊) 大森博 小林正寛 春海四方
   蛍原徹(雨上がり決死隊) 瀧山雪絵 杉本恵美 保坂エマ
BACK>>「うちのおすすめ」index 
▲ page top