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 てのなか番外篇
【モノ】no/01 渋谷公会堂

「渋谷公会堂礼賛」

98/6/1

渋谷公会堂に行ったことのある人の割合は、他のホールに比べてみると多いのではないか。
あらゆるジャンルの興行が行われるからである。
私も、いちいち覚えているわけではないが、この渋谷公会堂に足を運んだ回数は一度や二度という数ではない。

そんな中で、記憶に強く残っているのは、「ドリフ」と「レニー・クラヴィッツ」である。
どちらも「カタカナ」には違いないが、相当違っている。先刻承知の上である。

「ドリフ」は、いうまでもなく「ドリフターズ」である。

遡ること、昭和40年代終わりから50年代初め頃。彼等の全盛時代、私がまだ小学校にあがる前のことである。
その当時、我が家は父親の会社の社宅住まいであった。御近所の子供達とその母親達は、年に一度(たしか夏の
時期と記憶している)、渋谷公会堂に行くのが恒例となっていた。
(話はそれるが、NHKホールに「レッツゴー・ヤング」なんかも見に来ていた)
「8時だョ!全員集合」の公開録画を見に行くのである。はがきの応募により観覧できるしくみになっていたの
だが、毎年私達一行はハズレることなく、その入場券を得ていたようである。ただし、「生放送」であったため、
おまけにまだヴィデオも家電として我が家にはなかったため、オープニングで後方の扉から「法被」に「ねじり
鉢巻き」姿で登場する「彼等」とともに、自分たちがどのようにテレビに映っているのかを確認する術はなかった。
しかしながら、「今これがリアルタイムで全国に中継されているのだ(当時の私は「これはいつもみているどりふ
なんだけど、てれびじゃなくてここにいるんだ。でもほかのひとはてれびなんだ」程度の理解であったと思われる)」
という、言い知れぬ感慨(当時の私にとっては不思議であったかもしれない)があった。
ピンクレディーに声援を送り、当時知る由もなかった、我が敬愛すべき「グルーチョ・マルクス」のパロディであ
るところの「ひげダンス」に大笑いをした。
「8時だよ!〜」というからには、ステージはほぼ「午後8時」に始まり、放送の終わるのが9時少し前であった。
就学前の「こども」にとっては、9時というのは結構「おとなのじかん(つまり、そろそろ自分達はおねむの時間)」
であったのではないか、と今になって思う。
当時のその社宅は吉祥寺であったので井の頭線で一本で帰ることができた、とはいえ。

その頃の私にとっては「渋谷公会堂」は、親公認の「夜更かしの殿堂」だったわけである。

もうひとつの「渋公ベスト・ステージ」は、「レニー・クラヴィッツ」である。

彼の、初の「japan tour」を私はここで見た。確か91年頃だった(かな?)。
まだあまり知名度がなくて、でもファンにとっては待望の初の単独ツアーだったので(ちなみに初来日は90年。
john lennon tribute liveであったGREENIG OF THE WORLD に参加。johnの「cold turkey」を「鳥肌もん」のかっこ
よさで歌った姿が忘れられない。大学浪人中であったにもかかわらず、東京ドームへ出掛けた)会場は熱気でいっぱ
いだった。
ありがちな黄色い声などなく、本気で「好き」なひとたちが見に来ていた印象がある。
それまで、「できあがっている」ミュージシャンのライブにしかいったことのなかった私はライブがはじまるまでの間、
一緒に行った友人と妙に緊張してしまったのを覚えている。そのくらい真剣に聴きに来ている、「音楽通」の集まりの
ような感じがしたのである。全般に男性の方が多かった記憶がある。
同じ位の年令のひとももちろんいたが、今もって不思議なのは、なぜか数列前に「杖をついていた老人」がいた。
謎だ。
ステージは、ただ楽器がならんでいただけのシンプルなものだったが、そこで彼がライブをしている、というだけで
私は大満足であった。
そして、ステージも終盤にさしかかったところで、驚くべき光景が広がったのである。
「仕掛けてもいない」のに自然発生的にオーディエンス(あえて、こう呼びたい)からコーラスが起こったのだ。
それも各自が一番「キモチいい」パートを口づさんだため、信じられない計算外の「ハモリ」さえともなって。
「let love rule」でのことだ。今でも「鳥肌」がたつくらい、その時味わった感覚は「リアル」な感動である。
残念ながら、その次の来日ツアーでは、黄色い声(というより悲鳴だ、あれは)が武道館をつつみ「渋公」で味わった、
あの感じはなかった。

と、ここまでは、実は「まえふり」だったのであった。

私にとって、このような大事な思い出と共にある、輝ける「殿堂」で、あのシティボーイズがライブを行ったのである。
去年の野音も「おいおい」だったが。
ついに、「渋公」にまで、あのおじさんたちは乗り込んできたわけである。

「真空報告官大運動会」を開催したのだ。あいにく、2階席であったため少々不満ではあったが。
オープニングで1階後方扉から「ソウルさん」な大竹まこと氏が「シャワーを浴びるだけで帰る女」をともない登場した
瞬間、私の頭の中には、この「殿堂」で「ドリフ」が「法被」に「ねじり鉢巻き」で登場した、かつての、あのなつかし
き光景が広がっていた。
ライブの内容は、あいかわらず私達を楽しませ過ぎるに充分なものだった。
「なにが、どう楽しいのか」、については説明できない。その種の「楽しさ」である。
ただ不思議なのは、あれだけ笑っていたのに会場を一歩出たとたん、今観てきた「いろいろ」が、さらさらと頭から
消えていくのである。頭の中には「断片」らしきものしか残っていない。

>「リス鍋」のリス。>心臓のペースメーカー?の電子音。
>ダイコンの味噌汁。 >G線上のアリア。
>「スキマーゼ」。>般若の面。
>「3000円で買えるもの」。>「せーの、ほたるいかっ」。
>ヤクルト2本の「献血気分」。>「待ってる感」を消す。
>閉じた「システム手帳」と、開いた「システム手帳」。

あの「空間」は、やはり「真空」だったのだろうか。

甚だ唐突に思ってしまったのだが、その「真空」の中で、この笑いを共有したひとたちとは、「ハモれる」ような気が
する。 そう、レニーのライブの時のように。

結局この文章は「シティーボーイズ礼讃」の感があるが、それは少々早とちりである。

そんな「大運動会」の開催を許可した「渋谷公会堂」こそ、
心からRESPECTすべき偉大な「殿堂」なのである。


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