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 てのなか番外篇
【モノ】no/03『一千一秒物語』 稲垣足穂

「月は、いつもそこにいる」

98/10/10

月、という存在が無視できない。
女性のからだの生理活動は、月と地球の間にある引力に深く関わりがある、という医学レポートを読んだことがある。
もっといえば、月と地球の間に引力が発生したことにより、地表の水面に波動が起こり、結果、地球上に生物がうまれ
た、という地球太古のロマンに胸おどらせたことさえある。
無意識ではあったのだが、私の作品には「月」をモチーフにしたものが多い、ということもある。
私の母は、「今日は、満月だから見なさい」とか「東の空に、気味悪いオレンジの大きな月がある」だとか、いちいち
報告する。

そんなわけで、月がきれいな夜は、ついつい夜空を見上げてしまう。

今年の十五夜は、残念ながら雲に立ちふさがられた恰好になった。
そうなると、なんだか月が恋しくなったので、この本を開くことにした。

この『一千一秒物語』には、夜空が多く登場する。
そこには、大きなまるだったり三角だったりする「月」「お月様」、いたずらする「星」「彗星」、「COMET 」、
「milky way」、「THE MOONRIDERS」などなど。これらが繰り広げる世界は、むかしの「サイレント・キネマ」の
時代の、うそっぽいモノクロームの夜空を想像させる。

  夜遅くに公園のベンチにすわっていたら、どこからか男たちがやってきて、カラカラと滑車でお月様を釣り上げたり。
  夜に帽子を放りあげたら、お星さまが落ちてきたから、それでメダルをつくったり。
  家に訪ねてきたらしい三日月が、シガーの香りを残していったり。
  マロニエの梢からぶらさがっていた、まん丸い月を食べてみたり。
  ホーキぼしの入ったビールを飲んでみたり。

足穂が、この作品を書いた時代は、まさに1920年代、大正という時代が終わりに近づいたころだ。
日本語に、まだ「浪漫」が薫っていたころ。
驚いたことに、まさにフランスでアンドレ・ブルトンらが「シュルリアリスム宣言」をする前年(1923年)に、
この本は刊行されているのだ。 だって、この物語。シュルリアリスト達がほっとかないような世界なんだもの。
そんな時代、まだ芸術にさえ「浪漫」が漂うことが許されていた時代。
その時代の空気が、この物語の全編に、なんともゆうらりと流れている。

時は流れて、今の時代。
「ゆうらり」とすることは、どこか見下された「何か」になってしまったようだ。
立ち止まって、ぼんやり月でも眺めていようものなら、すぐさま標的になってしまう。
大多数の人間が、そうしない限り、やはり「ぼんやり」していることは、脱落を意味する。
「あー、外れていったのだな」の人になってしまうのだ。
スピードは、もはや至上命題であることは明白だ。否定はしない。私だって、その渦中に生きている。

月は、そんな様子を見ていて思っているにちがいない。

「いつだって、変わらずに、ここにいるだけ。」と。



一千一秒物語 新潮文庫

稲垣 足穂 (著)


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